10円玉を掘り返しに行こう

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前回の記事で、山の頂上に埋まった10円玉を掘り返しに行くかどうか、というお話をしました。(「頑張らずに頑張る」
正直、私には掘り返しに行くモチベーションは湧かないのですが、前回の記事でもお話したように、本当は掘り返しに行く方が良いのです。
これは、斎藤一人さんが仰っているように、小さな金額のお金を大切にしていれば、大きな金額のお金が恩返しをしてくれる、という考え方からも言えることですが、実は、もう1つ大きな意味があります。
今回は、そのもう1つの意味についてお話します。

昔、青砥あおと藤綱というお殿様がいました。
ある夜、橋の上を歩いていたところ、誤ってふところに入れていた銭10文を、川に落としてしまいました。
1文が現在の貨幣価値に直すと約12円程度ですので、10文は120円。
缶ジュース1本分のお金ですね。
お殿様でなくとも、落としたところで大したことのない金額です。
しかし、藤綱は従者に命じて川に落ちた10文を探させました。
しかし、その時は夜。
現代のように街灯もない時代のことです。
探そうにも、あたりは真っ暗闇で何も見えません。
そこで、藤綱は従者を走らせ、近くの店で松明たいまつ
を買わせました。
その金額、何と60文。
無事に10文が見つかったとしても、50文の損です。
その話を聞いた人々は、「もったいないことをするものだ」と、藤綱の行為を笑いました。
しかし、世間の声を聞いた藤綱はこう答えたそうです。
「もし、10文をそのまま川に沈めたままにしておけば、誰かを益することはない。
しかし、それを拾い上げたことで、その10文はわしの手元に戻ってきた。
その金は、いつか人を益することになる。
それに、松明のために使った50文も、今、世の中に流通して働いている。
確かに、わし個人で見れば50文の損をしたことになるが、合わせて60文のお金が生きて働くことになった。
これこそが、天下の利益ではないか」

お金は経済の「血液」です。
流れていないと経済が不健康(不況)になります。
たとえ、10円という小さな金額でも、山の頂上から掘り返して使うことで、経済が活発になります。
金額が小さいからとバカにしてはいけません。
世界経済という、とてつもなく大きな経済の流れも、1つ1つを見れば、そのような小さなお金の流れに過ぎないのです。

また、皆さんは自分のお金(より正確に言うと紙幣や貨幣)に名前を書きませんよね?
自分の持ち物には全て名前を書くという几帳面な人でも、お金にまでは名前を書きません。
なぜだと思いますか?
それは、紙幣や貨幣はあなたの物ではないからです。
確かに、あなたのお金はあなたの自由に使えるため、まるで自分の物のように思えますが、使ったお金は相手に渡ります。
そうやって、お金は次々に持ち主を変えていきます。
つまり、紙幣や貨幣はあなたの所有物ではなく、一時的にあなたのもとにあるだけの借り物に過ぎないのです。
自分の手元にあるとはいえ、他人から借りた物(正確に言うと、紙幣や貨幣に所有者はいないので、「他人から借りる」という表現も不自然ではありますが)を粗末に扱うなんてできませんよね?
いつかはあなたのもとを去っていくお金、しかも、その時には必ずあなたに何かしらの利益をもたらしてくれるのですから、もっと大事に扱いましょう。